写真館(第5回)

2021年3月11日の「コロナ時代の銀河」公演公開に向け、過去の公演の一部を朝岡英輔が撮影した写真と共に紹介する「銀河鉄道 写真館」を開館(オープン)します。

2018年1月20日(南相馬市民文化会館)

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選者:河合宏樹コメント

南相馬公演、そう聞いた時に思い浮かぶ人物がいた。彼は僕の友達で、かつ南相馬出身の映像ディレクターだった。直感でこの日彼を撮影の為に誘った。彼は実家に帰りつつ銀河を体験してくれた。この写真は彼が、メンバーのサイン会に参加する実母を撮影している姿の写真だ。その日、私は彼の実家に泊まらせて頂いた。あの夜、あの日の朝のひかりは今でも覚えている。とてもとても暖かいお家だったのです。

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車を借りて東京から南相馬まで走った。公演前に途中の海岸線を見たかったので、ダグ・スライメイカーさんと北村恵さんと同乗して、北へ。いわゆる被災地を訪れるのは3回目だったと思う。
綺麗になった富岡駅から先のJR常磐線は、福島第一原発に近くなるので繋がっていなかった。一体この先の線路が復旧する日は来るのか?と思いながら眺める。(注:2020年3月、運転再開。)未だ何もない海近くの荒地を何台ものトラックだけが走って、空にはからすが飛んでいる。小高区井田川のあたりでも、真綺麗な防潮堤が延々と作られていた。上に登ると濃紺色の海に巨大テトラポッドの群が見え、反対側を見れば黄土色の土地が遠くの山まで続き、道路と電線だけが走っている。自分の足の下にはコンクリートの防潮堤が宇宙基地のようにあって、私はこの非現実的な風景をどこかフォトジェニックだと感じている。と同時に、別の脳はその事を不謹慎なような落ち着かない気持ちで眺めている。土の上にあったタヌキか何かの足跡を撮って、会場へ向かった。
南相馬市民文化会館では多くの現地のスタッフの方達がいらっしゃって、とても暖かい現場だった。みんなで作っている空気があった。公演の後、馬追の土地にちなみ馬のポーズで記念写真。

2018年9月29日(世田谷美術館)

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選者:河合宏樹コメント

この写真は二日間開催予定だった上演の初日終演後の打ち上げの模様である(美術館の控室にて)。無事に終演できたことを祝福する一方で、実はただならぬ緊張が全員に張りつめていた。台風が東京を直撃していたのだ。二日目の公演が開催できるか、誰一人としてわからなかったのだ。数時間後の決定を待ち、それぞれ、開催or中止を見越した行動をしていた。結果、翌日の公演は中止となった。この日、再び私たちは自然の脅威と向き合わざるをえなくなった。そして無力感と共に、銀河はしばらく公演を行えていなかった。その後の2021年、コロナ禍の銀河である。

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たくさんの物が登場した公演で(私の印象に残ったのは「藁」だった)、スコップを抱えた柴田さんが小島くんとツインギターを奏で、一番大きな脚立の上で古川さんが朗読をして、自転車に油を差した管さんが大階段から「夜空」を降らせた。美術館の営業終了後に設営準備が必要な関係で、準備に2日。そして本番も2日の予定だったが、台風により公演が行われたのは初日のみだった。中止になった本番2日目の昼、台風が来る前に一部スタッフが機材の撤収に集まった。私も口惜しいような気持ちのやり場がなく、なんとなく会場へと向かった。銀河鉄道の絵が描かれたカステラが用意されていたので写真に撮る。本来なら4人と一緒に写されるはずだったが、管さんと小島くんの2人と。初日の公演は本当に素晴らしく、それだけに2日目の中止は一層残念だった。天変地異では仕方がない。もし2日目が上演されていたら一体どんな景色が見れただろう?と話し合う。仮にまたこの場所で再演が決定したとしても、『銀河』の事だからこの日やる予定だったものとは別のものになるに違いない。その一回限りという事も、『銀河』の魅力だと思う。

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